2023年01月27日
今日の報知で桐耶のことが記載されてあった。
↓
https://hochi.news/articles/20230127-OHT1T51037.html?page=1
抜粋
背番号が24から6になった桐耶は「1ケタを背負うことは責任感にもつながる。プレーで示したい」
10日のキャンプインから練習試合2戦も経て、「走って、状態も上がってきた。『安定感』と『信頼感』アップがキャンプテーマ。去年より全てでレベルアップして。限られた18人に入っていけるように」
左ストッパーを主戦場に定めつつ、キャンプ中はリベロなど、プレーの幅を広げ、出場機会を増やすための努力も続けている。「2年前(前半で交代の21年天皇杯長崎戦1●2)の自分はもういない。今は自信を持って取り組めているので」
桐耶は昨年でかなり力をつけたと思う。守備が昨年までは不安だったが、球際の粘りが出てきて、守る意欲も見られるプレーが目だって多くなってきた。
桐耶のストロングポイントはやはり攻撃力だ。
左サイドから駆け上がっていくプレーは素晴らしいものがある。
攻撃面では目を見張るプレーが多い。
今はポジションは、福森との争い。福森も今年は桐耶をライバル視してきて、懸命にポジションをとることに意欲的だ。
この左CBの争いも注目、桐耶がは果たしてレギュラーをとれるかどうか。
福森との高いレベルでのポポジション争いを見せてほしい。
勝手に叱咤コンサ外伝
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プロフィール
名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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