2006年10月14日
1-0で勝ってもつまらない試合だと思ったがロスタイムで追いつかれるとは。 予感はあった。1点をとらせてもらってから攻める場面はあまりなし。山形のペースで時間が進んでいった。 これもパスミスの多さや「ため」ができないことからくるもの。前半はそれでもパスカットが多かったのである程度攻めることができたが、後半はそれもできず、絶えずバタバタばたしていた。 それにしてもコンサは守るのか攻めるのかはっきりさせるべきであった。 西谷を入れて攻める姿勢をみせたように思ったが、入れたのはトップ下。1点差、関がよかっただけに仕方がない選択であったかもしれない。しかしこれは完全に結果論ではあるが、関、上里をOUT、曽田、石井をINし、西谷を左サイド、西嶋を左ボランチ、曽田をリベロ、西澤を左ストッパー、石井をFW、相川をトップ下に下げ、攻撃の態勢を整えることもできたのではないか。 まさしく結果論であるが、フッキのPKはラッキーだし、山形の1点も体にボールが当たってそこしかないコースに行った運が伴ったもの。本当は0-0なのだから、もっと攻める姿勢を見せるできではなかったか。 悔いが残る試合だったが、もう見飽きたよ。こんな試合。
プロフィール
名前:孔明(まさあき) リンクはフリーです。 「あ」とか「ああ」、「あああ」 とかいうHNには基本的には削除するかコメントを返しません。 「通りすがり」も同じです。 また、ふざけたHNやコメントは削除します。 コメントはコテハンでお願いします。 そして誹謗中傷のコメントは有無を言わずに削除します。 コンサとの出会いは1996年6月2日の日本電装戦。 それまでコンサの試合はテレビでは見ていたものの、妻とスタジアムに見に行ってすっかり生のサッカー観戦にはまってしまった。 それ以来、アウェーにも何度か出かけ、妻と共々コンサを応援し続ける。 これまでのコンサの思い出は、 1996年9月12日の本田技研戦、ペレイラの負傷退場後の厚別にこだました救急車の音、 1997年5月25日川崎F戦、バルデス3連発の間で厚別のS席で自発的に出たすさまじい声援 1998年12月5日福岡戦、3点目をとられた時の室蘭の静寂 2000年3月12日、エメ3連発で鳥栖のサポータに「幼稚園児の中に大人がいるのは反則だ」と言わしめた鳥栖スタジアムでの開幕戦 2000年7月29日浦和戦、殴り込んでやろうか思ったお行儀の悪い狼藉ファンをだまらせた両サイドの得点 2001年9月15日清水戦、堀井の移籍後初試合でのVゴールに歓喜する劇場(ドーム) 2007年最終戦試合終了後ドームの電光掲示板に写ったCHAMPIONの文字 2011年最終戦で決めた内村の2ゴールで昇格を確信したこと。 など数えきらず。もうコンサなしではいられない。
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