評価のしようがない

2022年09月28日

今から約1か月前、著名人の訃報が相次いでいた。
一人は稲盛和夫氏であり、もう一人はゴルバチョフ元大統領である。

その時感じたことは、高齢だったのもあるけれども、各々イメージできる功績やキーワードが浮かんだことだった。

前者でいえば、京セラ・JAL再建・アメーバ経営等々、後者でいえば、ペレストロイカ・グラスノスチ等々。
評価となればまた別だろうけれども、イメージのしやすさが門外漢であっても起こるのだな。


昨日、国葬があったわけだ。

ただそこに至る功績なんてものを考えると、疑問符がたくさん浮かぶもので。

在籍の長さは、それだけで大きいものなのか。党内のルールを変えてまでやったことが、そもそもどうなのかもあるだろうし。

外交の〇〇、という表現もあったけれども、これとてやたらたくさんの国に行ったことばかり強調されただけだし、行く度に何億・何兆という支援金を出して、そのたびにその何割かでも国内の貧困層に向けられないのかと感じていたし。
そもそも国民の困難を脇に置いといて、国外への支援が優先するのは変だろう。

〇〇ノミクスということばもあったな。
しかし実態はどうだったか。今や三本の矢だとかトリクルダウンなんて表現があったことも記憶のかなただろうし。
そもそもその人の経済政策の評価は、退任後にされたあとにして、有効だった時に初めて自身の名前を記すものだろうと考えるのだけれども、自らの口でまだ海のもとも山のものともつかないうちから使うものでもないし、そんな恥ずかしいこと私ならできないし。

その結果が他の国と比べても異次元の衰退を招いているわけで。

亡くなり方が衝撃的だったから、というのも理屈としては変だし。


結果、垣間見てみれば、そこにあるのはやっぱり「今だけ、金だけ、自分だけ」の世界の露呈でしかない。

全くこんなことばかりなので、タイトルのつけようにも困ってしまったことではある。


post by akira37

04:41

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