「一方的」事象には冷静に

2011年12月21日

かの国で進行している事象については、まあ驚くほどの事もなくありそうなレベルで推移しているとでもいうのか。


いきなり身近なところに転じれば、一方的な論理で人を悲しませることに平気な人たちがいる。

正しければどんな形でもいいのか?と感じてしまう。

それが自分より年上のいいだけ大人である人がやっていることとなれば、本当に情けなくもあるもので。
何が楽しいのだろう、とすら思うわけで。


一方で単純に合わせすぎるのもな、と感じる場面もあって。

単に鸚鵡返しで言われたところで主体性は感じられないのだよ。

こちらもいい歳をして見映えがいいとは少なくと言えない。


日常ツイートを、他の人のも見るにつけても悲しい場面にはよく出くわす。

往々にして言えるのは、現場を見ない人に限って声高に主張するのはいいが、そのことばが荒々しく汚らしいことで。

そうなれば、中味が正しいとしても嫌悪感しか残らないであろうことには、気づいていないのだろうな。


昨日の大きなニュースに公の選手の入札結果に関するものがあったわけだが、関心が薄いので、たまさか車中のラジオを聴いている時に「今入った速報」で流されてしまうと、気分としては白け気味。
更に街の声が追加される夜のニュースに触れてしまえば、最悪な気分ではある。


で朝刊を見ればSMAP絡みの全面広告が8ページ。いやあ凄いものだと感嘆する一方で、それを取り除くと何とも薄っぺらな本紙しか残らないというのが、何だか本質を見せているようで、それはそれで悲しいものでもあるのだな。


以上の流れから、特段のオチがあるわけではない。

ただ力任せに一方的になる事象については、冷静に対処しないと体によくないということだけは確かである。


一番困ったことは、この国の首相に感情が感じられない部分があることで。

いろいろなことを一方的に言っているな、という感想しかなく、そこには何とかして理解してもらいたいという意志に欠けている。
何でも演説はお上手らしいのだが、心に伝わらないのであれば無駄な技術でしかない。


post by akira37

05:01

その他 コメント(0)

この記事に対するコメント一覧

コメントする