根本的な部分を見ようとしないことには

2009年10月20日

昨夕、私は疲れていた。
個人的な仕事の流れの中では、自分による問題発生部分では自身に帰結するから問題がないのだけれども、関知しない部分での外的な嵐の中では、ひたすら耐えるだけであり、その根本にあるのが無理解や一方的な思い込みと思われる部分であっては、何とも無駄な疲労が蓄積するしかなかったのである。


いきなりの愚痴っぽい開始をお許しいただきたい。


昨日のニュースの中では、ダム問題に絡んで知事が見学してどうの、というのがあった。
その流れで地元民の意識の変化、というのが出てきて、今までは建設中止反対派の主張が一方的に(穿った見方をすれば感情的に)流されてきたのだが、今回はちょっと違った。
それはことの根源にかかわるのだが、本当に必要なダムであれば、とっくの前に出来ているはず、という至極最もな考え方で。
結局だらだらと続けていくことには、本来と別な部分の目的があるとしか思えないわけで、そこから考えていかないと問題の本質を間違えてしまうのではないのか、という感じではないのか。

ものの見方として、根本にあるのが一部のためなのか、全体のためなのかを見極めないと始まらないのだろうなあ、ということではあります。


さて我がチームのことだが、月曜深夜の2番組では当然に検証が行われ、次に向けての提言が出てきている。
私個人としては、まあ幸せなことではあるんだろうと思うのですなあ。
シーズンはまだ続くけども、これからの一試合一試合にも決して一つの無駄もない。
すでに来シーズンに向けての戦いは、チームとしても選手としても始まっている。
新しい移籍制度への対応問題もあるけれども、どうなっていくにしても戦いに終わりがないのだから、見失うことなく向かってほしいと願うのである。


昨日国土交通大臣と札幌市長の対談があった。
あの問題を話すためだったのだけれども、この件については個人的にも懐疑的である。
まあ大臣の趣味が共通である(ついでに言えば年齢も私と同じだけども)ことからすれば、これはかなり困難であろうと。
たかが趣味と侮ってほしくないのであるからにして、他の問題に比べてもかなり現実を知っていることは心していた方がいい。
しつこいけど、物事を考えていく前提には、あくまでも根本的なものがしっかりしていないとならないのだから。


post by akira37

05:14

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